エピソード9 

子育て一段落、おしゃれが似合うママ卒業生からのメッセージ

本日をもちまして、創学舎高等学校を卒業させて頂く事になりました。
私には皆さんと同じぐらいの子供がいます。早くに子を授かったため、高校は卒業できていませんでした。子育ても少し落ち着いてきて、自身の将来を考え始めた頃に創学舎高等学校の事を知りました。新しい自分の道を歩んで行こうと思い、創学舎高等学校で3年間学ばせて頂き、今日という日を迎えることができました。
皆さんにも進路や夢が色々あると思いますが、まずは日々の学習に取り組み、頑張って創学舎を卒業して、自分の将来に向かって歩んでいってください。先生方、本当にお世話になりました。ありがとうございました。(2024卒業)

エピソード8

今秋の卒業生の1人は平成の時代から長期在籍の生徒さんでした。スーツ姿で式に臨み、見違えるようにCool! 古風に言えばMr.Dandy. 

来たり来なかったり、紆余曲折。しばらく顔の見えないこともありました。
そのころは生徒さんも少なかったので、来なかった生徒にすぐ電話をするのが校長の仕事でした。彼には何度かけたことでしょう。

異変が起こりました。2021年ごろから、常習だった遅刻がなくなり、レポートもスムーズに提出。顔つきが変わりました。

最後に、「校長先生、ありがとうございました」という言葉を残してくれました。こんな風に頑張った生徒さん、本校にとって一つの大切な経験です。こうして小さな歴史が刻まれました。
こころからありがとう!と言葉を返します。
新たな時代を創る卒業生に向けて。

エピソード7

ユカさん、夢をひろげて・・・

44歳で創学舎高校に入学したユカさんには夢がありました。ブラジルからの移住者で、10代後半まで現地に暮らしていたのでポルトガル語が堪能です。

最初の希望は勤務先のブラジル系の保育園で、正規の資格を取り、現地語で保護者や園児たちへのサポートを頑張りたいということでした。進学も考えていました。ところが卒業のころ、二人の子供たちが、大学、短大に進学。そこでユカさんは進学ではなく、保育園のパートを続けながら、保育士国家試験に挑戦するという選択をしました。学費の問題です。

卒業後3年目の今、2023年、合格の知らせをもらいました。保育士試験は科目別で3年以内に9科目クリアすることが合格の条件です。7科目は取れたのですが、最後の状況設定問題の2科目で挑戦を重ね、ようやく保育士資格をGetできたのです。

ユカさんは、これからの夢を語ります。
これまで多くのみなさんのお世話になったのでポルトガル語のちからを十分活用して、世の中にご恩返しをしたい。これは在学中から同じ気持ちです。
保育士でよい条件で働く娘さんから、一緒に仕事をという話もありました。でも、今のブラジル系の保育園でのパートを続けます。まだ勉強したいのです。
高校を卒業し、保育士資格を取って、世界が広がりました。自分の可能性が様々見えてくるのです。
外国人小学生の学習支援、障碍のある子供たちの支援、私にできることはまだほかにもあるとすれば、今の仕事を続けて、まずはほかの資格にも挑戦してみようと思います。

ユカさんの初志は変わりません。でも高校卒業によって、ユカさんは夢を広げています。

60歳になってから高卒資格を取ろうと思っていました。と語るユカさん。
資格の重み、自分の可能性を拓こうとする意欲、そして「恩返し」の志。
ユカさんは私たちに学ぶべきことを思い出させてくれます。(2023/5/14)

エピソード6

地元五輪」出場へ!!肉体改造で今平手応え/国内男子(1/3ページ) - サンスポ記憶に残る50人目の卒業生のことは皆様のほうがよくご存知かもしれません。現在プロゴルファーとして大活躍中の今平周平さんです。2008年の高校1年時に「日本ジュニアゴルフ選手権」で1学年上の松山英樹を破って優勝。翌09年に高校を中退し、米フロリダ州のIMGアカデミーに留学。2年間の武者修行を経て11年に帰国し、19歳でプロ転向。才能が本格的に開花したのは14年で、男子下部チャレンジトーナメントで2勝を挙げ賞金王に輝いた。着実にトップ選手への階段を上がり、17年「関西オープン」でツアー初優勝。このときキャディを務めて”勝利の女神”となった若松菜々恵さん(当時は大学4年生)と18年5月に婚約。その18年には、歴代最小の身長165㎝で賞金王のビッグタイトルをつかんだ。年間1勝で賞金王になったのは1976年の青木功に次ぎツアー史上2人目という42年ぶりの“珍事”でもあった。19年は2勝を挙げて2年連続賞金王。27歳67日での複数回賞金王達成は尾崎将司を抜いて史上最年少記録。短く持ったクラブをシャープに振り抜くスタイルが特徴のショットメーカー。21年「フジサンケイクラシック」を制して通算5勝目。ますますの活躍を期待しています。(GDOニュースより引用しました。写真はサンスポより引用しました。)
    ゴルフ今平周吾が今季2勝目 次週Vなら2年連続賞金王(2019朝日新聞デジタルを見る

エピソード5

じっと座っていられず、貧乏ゆすり。ときどきうなり声をあげたりしていたあなたには、塾の先生が遠くから連れてこられていましたね。殆ど答えてもくれないあなたでした。もともと天然気質の新米校長はそんなことを気に留めもせずにいました。
2年目にはマスクをし、ニットの帽子を深くかぶって、眼だけがキョロっと見えていました。別室で塾の先生と一緒に出された課題を勉強していました。
3年目のスクーリングの時、「先生」と声をかけられたので、「えっ、あなただあれ」。年にあうのは数回、眼だけキョロでは顔を覚えることもできません。実はなかなかイケメンなのでした。

前回のスクーリング時に、校長先生が言葉をかけてくれたので、自信を付けそれから変わりました。と付き添いの先生から言われました。そんな魔法の言葉を使ったかしら。でも、うれしいことです。やはり教室に入れなかったもう一人とお友達になりました。二人一緒に今回は教室にもはいれました。
最後のスクーリングの時には、就職が決まったといってくれました。温泉地なのでホテルの仕事だそうです。親御さんがとっても感謝していると、塾の先生がつたえてくれました。入学の時のあの彼は甘ちゃんだったのだろうか。生徒たちの成長はこんなものかもしれません。塾の先生、ご苦労様でした。

エピソード4

中学3年間、高校2年間、一日も学校に行ったことがないというあなた。高校の先生から、どこか知的なものを感じる生徒なので、先生の学校で見てやってくださいと転学してきました。
一年目、初日始業式に、駐車場まで来ていますがとお母さんからの電話。ベテラン校長だった花形先生と式後に駐車場に駆け付けました。ようやっと一言言葉を交わすことができました。
次に顔を見せてくれたのは、12月の「花園寄席」。お笑い鑑賞は本校の開校以来の企画です。無言。この年の単位はこのお笑いの出席と総合学習のレポートで1単位取得。まだまだ先は長い、いつになるのかな、だいじょうぶかなと思っていました。
ところが、4ヶ月経ち、2年目の始業式以降はなんと皆勤です。レポートも何とか定期的に届きます。中学校からのほぼ6年続いた不登校生活も終わりがありました。そうして編入学して4年目、卒業の時を迎えました。やればできるのです。エンジンがかかるのに長い時間が必要だったのでしょう。
卒業証書は手にしたけれど、就職や進学はちょっと休憩だそうです。それもまた個性なのです。もう少し待ってみましょう。

エピソード3

中退したまま、結婚し、子育てに入り、それでも頑張りたいと編入学してこられたあなた。
幼稚園小学校と3人のお子さん連れで、山にも登りました。
お子さんの入院でスクーリングに出られず、単位取得もずれ込んでしまいました。
でも、初志貫徹、さらに希望通り准看の学校も卒業されましたね。病院で立派に働いてくれていますと院長先生からききました。
いつからでも、志あれば周りが手を差し伸べてくれるものです。

お子さんを連れての卒業証書授与式、あなたの涙にこちらももらい泣きでした。(写真はイメージです)

エピソード2

数千人も生徒のいる県立の通信制高校から転学してきたあなた。前籍の状態を聞き合わせたら、生徒が多すぎて、分からないといわれました。ところがさすが先生、数日後にありましたとご連絡。今と違ってデータ管理が進んでいない時代でした。ほんの数年前ですのに。先生、きっと額に汗して書類を探されたのでしょう。
とにかくエネルギッシュなあなた。資格もたくさん持っていて、まだ学校にも通っていましたね。卒業式の日も、時間の都合が付かないあなた。ファミレスでやっとあえて、卒業証書をお渡ししました。一緒に仕事をする後輩はいないかなといっていましたね。いるといいですね。
また資格をふやしたかな。高卒でないと取れない資格はかなり多いのです。

 

エピソード1

明るくて、やさしくて、スポーツが得意で、どうして学校に行かなくなったのかと不思議に思うようなあなたでした。レポートもスクーリングも真面目にこなし、笑顔の素敵なあなた。卒業してすぐの夏に学校再訪。大学を卒業した後にも、お母さんと一緒に家を訪ねてくれましたね。
この次は、結婚式の写真でも送ってください。新しい幸せはもうすぐそこに来ているように思います。

 

 

皆さん可能性を持っています。
幸せになるご支援ができれば本校の喜びです。
(校長)

 

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